通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

お客様に届いて初めて通訳

通訳は必要悪だとわたしは思っていて、なくて済むなら通訳なんて介さずに直接人間同士会話をしたほうがいいと思っています。

流暢じゃなくても身ぶり手ぶりをつけて話している本人からの言葉はインパクトがあります。それは一人一人がもつオーラがあって、色が、空気があるからです。

 

それが通訳を介すことによってその通訳者の色が絵の具のように混じる。ニュアンスを言葉としては伝えても本人と聞いている人が直接わかり合えることには叶いません。

 

そういう意味で必要悪と思います。

ベストパフォーマンスを出したって必要悪なわけであって、どこまでいっても聞いている人にとっては仕方ないから通訳を使うという補助ツールなのです。その言語が理解できれば通訳は使わないのだから。

 

 

 

だから通訳しているつもりで、通訳になっていない事態はなんとしても避けるべきですよね。

 

通訳するということは大変です。集中して同じ内容を違う言語で言おうとしているわけですから。いつまでも簡単じゃありません。それでもその努力がお客様の耳に通訳として届いているか、が一番大事です。そのアウトプットが目には見えなくても私たち通訳者の成果物ですから。

 

声がこもっていて何を言っているか分からない、

舌がまわっていなくて聞きとれない、

文の意味が分からない、

速すぎて理解できない、

 

日本人、外国人から聞いた言葉ですが、通訳者としては必死だし、わざと分かりにくく通訳したい人は一人もいないことを考えると、腕の改善が待たれていると言えます。

 

つまり、腕を改善して必死度を落とすということ。物事が自分のキャパを越えようとするとき、焦ります。緊張します。視界が狭くなります。大局的に、一歩引いて自分を見ることが出来ません。分かりやすくなればパンパンの状態です。それだと良いパフォーマンスが出来ません。パンパンの状態をそのままお客様にさらしているという事態になります。

 

常に通訳している自分を、自分の通訳を監視する。そうやって一歩ひくためには必死度を落とすしかありません。緊張は良いパフォーマンスをするためには必須ですが、緊張と必死は別物です。緊張してリラックスすることで、自分の持つ力を出せます。

 

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2019年も東海道新幹線には本当にお世話になりました。こうやって日本の原風景が見えてほっとする瞬間、ニッポン人であることを実感します。