通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

be good, do good, be good

自分はできる、と思って通訳をしているとそれが声にのります。聞いている人も安心だし、その声を誰よりも自分の耳が聞いて、みぞおちが下がります。

 

be good, do good, be good です。

 

今日の仕事に自信があるとかないとかお客さんには関係ありません。通訳をしてくれるんだろう、位しか思っていません。通訳がおかしくなると、どうしたどうした??となるだけです。

 

自信があってもなくてもやる仕事は変わりません。

 

そしたらまあ今日もどうにかなるだろうと楽観的になった方が得です。楽観的になるためには準備を悲観的にしておくことだと思います。そうでないと、まあどうにかなるサと思えません。

 

自信があれば英語が、日本語がうまくなるかと言えばそんなことはない、とは言い切れないと思います。うまいの定義の議論に入りませんが、日本語のスピーチやプレゼンも、自信のないような声で聞くのは疲れますし説得力に欠けます。

 

私の場合は、と前置きしておきますが、この人プレゼンうまいなあ、と思うのはそのときではなくて、終わった時だと思います。なんだか自然体で聞けてしまっていたからです。偉ぶってもないし、仰々しい言葉遣いをするわけでもなく、自然体だからです。

 

通訳も自然体で、話せばいいのです。

訳さねば!上手く仕上げなくては!と力むから、間違えたり、方向修正せねばならないときにアタフタします。

本番では頑張るところではないとおもいます。頑張っても遅いからです。

上手く仕上げたい!と緊張するくらいなら、普段から研鑽をして一日1ミリ進む程度でもやっておく。やったとしても美しい通訳が出来るかといったらそうではありません。醜い通訳が飛び出してしまいます。自分的には許せませんが、研鑽が足りないのです。

 

 

口も脳も身体の一部です。

身体がかたいのは脳がそういう指令を飛ばしているからです。

 

なんか今日は自分、カッタイおじさん/おばさんみたいだ、と思ったら、手を上に挙げて伸びをしてみてもいいかもしれません。