通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

逐次通訳で気づいたこと

こめかみと目の間がグリグリ痛い。

逐次通訳は本当に難しい。

 

逐次通訳は、自分が英語に、日本語になんて訳そうか考えながらノートを取る。

 

今日分かったことがある。というかそうではないかなあ、と推測をたててはいたけど。

 

話自体が自分が日本語で話していても混乱しそうな話題。このとき、スピーカーが早く話した場合、聞いた瞬間は分かっているからあとはリテンションの問題!絶対に逃すなるものか、と思い出しやすいようにターゲット言語でメモを取る。

 

今日やっと気づいたのは、頭を使ってこう訳そう、ああ訳そうと思ってノートを取ると、アウトプットがとっっても楽だということ。リテンションとメモのコラボレーションってこういうことだ、と今更快感だった。メモを見て、はて?、となるはずもない、訳す時用にメモを取っているのだから。必然、アウトプットをより磨いて出せる。

 

 

ただ、これはものすごい脳の体力を使うのだ、ということも体感した。疲れてくると、惰性で手が勝手にメモをとっている。つまり、考えながら聞いていない。これをやると通訳は崩壊する。最後はムチで脳をたたくように、考えながらノートをとった。

 

 

ノートの取り方のコツはこうだ、と書いてある本もあるし、あまりノートをとるな、と謳う人もいる。

分かりやすい通訳が出来れば何でもいいとわたしは思う。

ノートを意識的におさえてうまく通訳出来なくなるのは本末転倒だから。実際わたしは一時期そうだった。

 

ノートをあまりとるな、の本当に言いたいことは、何でもかんでもとるな、ということだと思う。リテンションも鍛えずにそんなスタイルではどうせ書いたって思い出せないだろう、と。それは同感。何でもかんでも書いてもいいけれど、分かりやすい通訳は難しいと思う。ノートを見てから通訳するまでスピーカーのメッセージをプロセスし、消化する時間がないから。

 

 

それから最後に。

頭が疲れてくる中で耳にアテンションをほぼ持って行くと、手も惰性の動きにはいるのか、文字が書きたいように書けない。

鉛筆は、そういう意味では、パーフェクトだった。力を入れないでも書きたいように本当に書ける。サラサラと。事務的だが大事なこと。書いたと思っている文字が汚くても、読めない、というのはアチャーでしかない。

 

パートナーに鉛筆でメモをとると見やすい、と感動してくれた人もいたし、サラサラうるさいと思う人もいるようだから、おすすめする気はないけれど、今日は良さを理屈抜きに感じられたので明日からも鉛筆と紙にお世話になります。