通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

理想の通訳のはなし。

先日ある案件で西海岸の発音ですね、と言われたことがあった。

東海岸と西海岸の発音の違いが分からないんですけど とは言えなかったけれど。

アメリカ英語ですね、はあっても

西海岸ですね、は初めてだった。

思わず米国のですか?というアホな切り返しをしてしまった。

 

そんなことはどうでもいいのだけれど。

 

それにしても逐次通訳をしながらこれは同時通訳だなあと思う。

こんな話をするのはこのブログで何度目だろう。ボケてきたのか同じようなことを何度も書いているからそろそろこのブログも終わりか、と思ったりする。でも同じことを書くということは実際に通訳者生活をしていて思うところがあるから、こそだったりする。

 

逐次通訳はスピーカーが話し終わってから、通訳者が同じところを違う言語で話す通訳。

同時通訳はスピーカーが話すのと同時に、通訳者が同じところを違う言語で話す通訳。

 

なぜ逐次通訳は同時通訳と感じるのか

ノートを取るときには言わんとしていることが分かって取るし、

取りながらかつ、スピーカーが話しているのも聴くから、

このプロセスを成功させるには’同時通訳的’脳が必要になる。

 

最近になって、英語から日本語への通訳は日本語でメモを取るようになってきた。単純に時間が経って同時通訳的プロセスに頭が慣れてきたのか、聞いているそばから「こういうことが言いたい」んだがおりてくることが多くなった、気がするし、そうした方が通訳する際により言いたいニュアンスを出すのが楽な気がする。

 

抽象度が高い単語は英語でそのまま書いておいても日本語でツラツラ話しているときに「うっ」となってしまう。聞いた瞬間に「こういうことが言いたい」に変換出来れば、ニュアンスが伝えやすくなる。

 

ニュアンスが命。

伝わる通訳が命。

 

それに尽きるんじゃないかしら。

 

AIアナリストの通訳をする機会があって、通訳の今後を率直に聞いてみた。

色々な説明をしてくれたけれど最後に、ニュアンスはね、人間じゃないと出せないですよね、と。

 

正確でなければならない、当然。

思い込みで足してもいけない、当然。

勝手に削る判断もしかり。

 

ニュアンス、ニュアンスと繰り返して歪んだ通訳は悪でしかないから。

 

それらを前提としてニュアンスまで伝えられる通訳を追求する、のは一生かかっても終わらない業だとおもう。