通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

逐次通訳

こう振り返ってみると

 

2017年4月フリーランスになりたての私は、「全部伝える」の意味を分かっていながら実践できていなかった、と思う。

 

 

 

 

 

一歩下がって語られている内容をつかむ勇気がなかった、というよりは

 

全部言ったから、伝えたのだ、というずるい部分があったことは否めない。

 

学校で正解を訳に出すところから抜け出せず、通訳のなんたるかを、いかようであるべきかを、分かったようで分かっていなかった。でもそれでいい。教科書と現実は違う。

 

 

 

実際、逐次通訳は簡単ではない。同時通訳より難しいかというと、とんでもない。

 

 

 

が、逐次通訳も同時通訳も同じことをしているはずが、逐次通訳の方が責任が伴う気がしてしまう。それに、一度に一言語しか話していない。極めて普通のことだ。だからアウトプットは洗練されていて、わかりやすくて、当たり前だ。

 

通訳をしばらくやってみれば分かるが、同時通訳も難しいことこの上ないけれど、誤解を恐れず言えば、ごまかせてしまう。事実だと思う。

聞いている人がロジックがおかしくて、元の発言と食い違っていて、抜けているところがたくさんあって、通訳し終わったあとに、は?となる確率は高くない。なぜなら、バイリンガルでも、英語、日本語、どちらも聞きながら、かつ評価を行うのはかなりキツイから。なんとなく、流れてしまう。

 

同時通訳は今回さておき、

逐次通訳が難しいのは、言葉を逃さずに追いかけ、かつ、一歩下がって全体像をつかんで、言いたい中身を細大漏らさずに伝えないとならないから。

 

ふわっと分かったところだけ伝えるのは本当によくない。

だからといって聞こえてくる単語にしがみついて、よく分からないから、とベタ訳するのは論外。

 

 

だから逐次通訳は面白い。

音源は同じなのに、どう調理するかで、出口の成果物は異なってしまう。

 

逐次通訳のクオリティを上げるということは終わりなき世界に生きていくということ。