通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

翻訳サービスでも同じような通訳ってどうだろう

通訳をするということは、話している人の立場にたって考える、以上に、その人にならないといけないということ。そうでないと違う言語となって、その音が聴いている人の耳に入ってくるだけになる。

 

だからその発言者が言いたいことが伝わるなら、どんな言い回しでもよくて。どんな単語を使えた、どんなフレーズを使えた、という議論は通訳者の心の中だけで十分に完結する話だと思う。

だって話している方は、伝わればいいわけだから。

 

こうして仕事をしていても、通訳の仕事ってなんだろうなあって問いに答えは出ない。出なくていいとも思う。

 

文面で見ても、聴いても、その人の話は同じか?と言われれば、それは全く違う。誰が話したって、書いた文書とは異なる。

その違いが通訳に求められてるんじゃないかなって思う。だからトーンとか、音程とか、何でも良いのかと言われるとそうではない感じはしている。実際に自分が話しているみたいに声にアップダウンがあって、音程がその時その時によって異なる通訳を聴いていると、上手いなと思うし、自分が通訳をお願いしたい状況になったらそんな人をお願いしたいと思う。

 

だから通訳という仕事に終わりはないんだと思う。一通訳者として、この案件が出来たとか、誰の通訳をしたとか、それで高揚する人もいるし、誰を通訳するかで自らの市場における立ち位置を測る人もいる。

 

本当に面白いところは、whoではなくて、howだと思う

 

どんなポジションについていようとも、みんな同じ人間で

 

通訳は人間研究とも言える