通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

通訳者の勉強哲学

精読と多読で読み方が違うように、

勉強するときの読み方と、情報を取りにいくときの読み方は違う

そこを混同すると、時間はかかるし、全くもう何のためにやっているんだかわからなくなる

 

日本経済新聞を読むときに気づくと同時通訳スイッチが入っている自分がいる

やめよう、と思って読み始めても、これなんて言うんだろう?

これ出てきて言えなかったらどうしよう?

こんなことが会議で出てきて逐次通訳で、ってなったら、アタシはどこまで出来る?

 

こう考え始めてしまうと集中していない証拠だから、日経を放っぽりだすハメになる

 

 

同じようなことは、同時通訳をしばらくやったあとにもある

喫茶店で聞こえてくる会話やテレビの放送をどんどん変換している自分がいたりする

 

 

どちらかしか分からない方がいいわ、と思ったりする。

ふてくされたと思えば、次にもしこの単語が出てきたらどうしよう、と

心配性の自分もいて、

端から書き出してみたり。

 

だから狙いを定めてここだけ、ここぞ、と集中したら、あとはゆるむ。

ゆるまないと、集中力自体が消えてしまう。

ずっと緊張し続けていられないように、全部をやるのは無理だから。

だから、全部をやろうとしてフラストレーションがたまったりするのも、ある意味正しいことかと思う。

それでも今やっていることがどこかで活きる、と本気で思わないと、

それはそれで中途半端な学びになる。