通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

600円のざるそばをすすりながら通訳の難しさを想う

あまり世離れしすぎると良くないと思いますが、今まで出来なかった生活をするのは新鮮で新たな発見があります。

 

オーディションの日が大切な人の月命日でした。当日お墓参りしてから行きたかったのですが、時間も天候も合わず、気になっていた為に報告も兼ねて、お墓参りをしてきました。いつもは首都高速に乗って15分くらいのところを電車15分強、徒歩15分で。

 

神奈川県の見知らぬ街の商店街を通って、川を渡ります。

 

平日の真昼間から時間を気にせずお墓参りに来ている私も社会の基準に照らせば異質でしょうけど、平日14時に川沿いをジョギングする人、夕方16時に下校する高校生たち、町のパン屋さんで近隣のお客様と語り合って働く人、お蕎麦屋さんで昼間から生ビールを注文する工事現場のお兄さんたち。

 

 

自分が過去一年間、東京ど真ん中のオフィスビルでカツカツ走り回っている間にも、こんなに人間的な営みをする人たちもいるんだ、こういう生活って存在するんだ、ということをなぜだか改めて感動した一日でした。ありふれた日常の中にある人間的な交流を見た気がしました。

 

 

 

 

 

通訳者がいらない日が来たらいいのに、と思います。通訳者を介すコミュニケーションで隔靴掻痒の思いをする人は、正直少なくないと思います。

 

 

通訳者としてはもちろんその壁を取っ払う努力をするんだけども、その壁は二言語以上に長けている人が思う以上に簡単には取り払えるものではないと私は、思います。それは話されている言葉ではなくて、音楽でいうと間奏や伴奏の部分。そこが難しい。言葉という形ではなく、ニュアンスで出てきてるものをどれだけつかんで向こう側に渡すか。間奏や伴奏抜きでメロディーだけ流されても、冷めます。

 

 

 

言葉をどれだけ流暢に、かっこよくスムーズに訳せるかは、誤解を恐れずに言えば、通訳者を必要とするオーディエンスにとっては一番重要なことではないかもしれない。

 

 

なぜ通訳者が必要か?それは相手の言っていることを同じ言語だったら理解していただろうレベルで理解したいと思うから。人間の基本的な欲望だと思います。

 

 

だからスラスラ訳して、それでokだと自己満足に陥る通訳者にはなりたくない。なんの為に自分の仕事があるのか、心して仕事にかかりたい。

 

 

そんなことを今日、あの商店街でざるそばをすすりながら考えていたわけです。