通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

通訳者なら、通訳者のオーラをまとわないと。

今日大事なことに気づきました。
同時通訳をやっている間に2つ気づいたことがあります。


ところで通訳者のブログを見ていると気づきを得た!と。で、肝心の中身が書いてないことも。


何か学んだ際に、アウトプットしてみないとそれが気づきとして価値があるのか自分でも微妙、もしくは言葉に出来ないくらいの認識しかしていない時があります。


だからこそこうしてアウトプットするのは、大事です。
こうしてブログを書きながら、シェアしているように見せかけて、自分で学んでいるのです。
外に出して初めて、学びになるのです。
外から入ってきた情報を「なるほど」と思っているうちは、モノにできません。

#1
同時通訳で少し遅れ始めた時は、少しそのまま流されてみる。 

遅れてるって思った時点で耳がおろそかになっている可能性大。
つまり、急いで巻き返そうとしても正しく理解できていない可能性があるし、聞いていて巻き返そうと必死なのが分かる。
うまい人の通訳、元の日本文と比べると絶対慌てそうなところを、いかにも初めからそういう構文で言っていたかのようにやるんですよね。聞いていて余裕が感じられるようにすることが大事。
だからあえて、もう少し聞くと勝率が上がる。

#2
聞いている人の立場に立つことで、スキルは上がる。

やはり通訳という作業は言葉の変換ではなかった。
通訳というのは、聞いた話を理解し、出来上がったイメージを、通訳者が再現すること。
イメージを再生しつつ、丁寧に言葉を拾ってあげる。

同時通訳って苦しいから、文章が来たらどんどん出したくなるんです。
緊張すればするほど待てないしね。

そこでふと、聞いている人のことを考えると、今出さずにもう少し待ってみた方が意味が通るかも、分かりやすいかも、という意識に変わります。文章や意味が重複しないで済むかもしれないからね。

通訳者の仕事はある言語を違う言語にして、同じ言語を話さなくてもコミュニケーションが成立するために存在しているわけです。苦しいから聞こえてきた順に何でもどんどん出して、通訳者が楽になるかどうかなんて、正直どうでもよく。
私がオーディエンスなら「知ったこっちゃないわ。訓練されてるんじゃないの?」って思うから。




通訳者の苦しみは、通訳者しかわからない。
それでいい。そうでないといけない。


通訳が出来る人、ということで通訳者を名乗るわけだから。
出来ないことがあっても「出来ないけど許して」は匂わせちゃいかんのです。