通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

インタースクールに入学してからの1年間

さて、英語歴の振り返り続いています。

前回は2013年からの本科Ⅰ3回履修の期間中の話をしました

 

2012年10月期英語専修Ⅳ、2013年4月期会議通訳コース準備科。

 

こんなに自分は英語が出来ないのかと思い知らされた1年間であり、英語熱が自分の中で一番高かった時期かもしれません。

 

英語のニュースを1分以上聞くのは初めて。 

英米人のスピーチを聞いたのが初めて。

 

ここまで書いてなぜ通訳学校に来たのか首をかしげたくなります。

 

そしてThe Economistを読んだのも初めて。

人が話すスピーチを聞いてノートを取ったのも初めて。

 

何もかも新鮮で、とにかく楽しくて、言われた宿題は全部こなしていましたし、授業でやったことも見直していました。積極的に発言していましたし。

 

今振り返っても一番楽しかった時期です。

 

 

でもこのときは「分かって楽しい」で終わってましたね。

聞いて分かったことを口に出来るレベルにはとてもではないけどいなかったです。「英語が分かった気でいる」ことが思い知らされた1年でした。

 

『通訳者ってこんな難しいこと聞いて英語にも日本語にも出来るの?!』って思っていました。この時はまだ通訳者を目指そうとも思っていないですし、雲の上の話だったと思います。

 

この時に感じていた楽しい、好き、という感覚は忘れちゃいけませんね。

本科Ⅰを3回履修 2013年秋〜2014年秋 

英語歴さかのぼってみています。

前回は2015年から1年間受けたプロ準備科を振り返りました

 

その前。

2012年10月期 英語専修Ⅳ

2013年4月期 準備科

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2013年10月期  本科Ⅰ(やる気なし)

2014年4月期 本科Ⅰ(夏までやる気なし/ 夏からエンジンかかる)

2014年10月期  本科Ⅰ(2017年4月期本科Ⅱ判定)

 

 

こんな感じです。こう改めて見ると本科Ⅰ滞在期間長いですね。本気で勉強し始めたのは本科2014年夏くらいでした。一回目の本科Ⅰ滞在期間中、大学院へ行くことを検討していました。授業物理的には行っていたが何もせず。

 

いろんな本を漁って資料そろえたり、大学で成績表をもらったり。でも通訳学校を辞めようとは思いませんでした。

 

この時に勉強しようと思っていたのがアフリカにおける教育です。貧しい生活をしている子供たちがそのスパイラルから抜け出すには教育が絶対に必要だろうと思っていました。学校を立てたところで授業のシラバスもない、しかるべき先生がいない、農業を手伝わなければならずまず学校に来れない等、背景には様々な事情があって、一筋縄ではいかないところです。

 

今もこの分野には興味があって、本やニュースから情報を得ています。

 

当時、大学院行きはないな、と本当は心では分かっていたハードルが2つあります。

1ーお金の工面。親を説得出来るほどのロジックが私の頭の中にはありませんでした。どんな脈絡で大学院に行って、どんなきっかけでアフリカの子供たちの教育を勉強しようと思ったのか。

 

2−興味はあるけど、そこ止まり。例えばそこまで情熱を注いで、調べものしていて気がついたら時間があっという間に経っていた、ということは一度もありませんでした。比較対象として「英語」とか「通訳」が頭にあったわけではありませんが、「なんか違うな」が拭いきれない感覚。

このおじさまのトークをずっと見ていたことも大きいです。

 

情熱と興味は、ちがうのだ!このおじさまに人生導かれたと言っても過言ではないです。いや、ホントです。(この皮肉たっぷりのおじさまの話し方には惹かれます。面白くて電車では見れません)

Larry Smith: Why you will fail to have a great career | TED Talk | TED.com

 

なんでエンジンがかかったかと言うと見た方も多いと思いますが、「プロフェッショナル仕事の流儀」に出ていた長井鞠子さんの回です。彼女の通訳のスタイルは私がそれまで思っていた、『英語に秀でた人たちが黒子に徹する、ボックスの中にいる通訳』とは全く違いました。

 

「生きている」感覚がすごくしたんです。英語で言えばaliveというんでしょうか。言葉をただ英訳、和訳しているんではないな、と感じたんです。毎回必死に単語帳を作って、そのスピーカーを本当に理解しようと努めて、自分の言葉で話している、全力でやっている彼女を見たら、『こんな職業だったらやってみたい』と思いました。

 

この番組を録画しておいてくれた母親に感謝です。そして通訳の回だよ、と教えてくれた父親にも感謝です。大学院を目指そうとしているけどなんかずれている、と父も母も思っていたんでしょうね。

 

 

エンジンがかかってからの本科Ⅰでは、シャドーイング、逐次練習をやり、英字新聞を読んでいた気がします。授業でやったところを復習しました。教材に関連する下調べもだいぶしました。

 

ただこのときはまだ、話している人の言いたいことをつかんで伝える、が全く出来ていませんでした。それに英語がまだ怖かったです。流れてくる英語が聞き取れなかったらどうしよう、聞き取れないよね?!という気持ちでいっぱいいっぱいでした。物理的に訳しているだけだったので、ネイティブ日本人にも関わらず、私が話す日本語はおかしなぎこちないものばかりでした。

 

苦しかったですね、このときは。

言いたいこと分かっているのに、口を開くと伝わらない日本語になる。

 

それでも形だけは言われている通り、シャドーイングやらディクテーションやらやっていました。ただその人が本当に何を言わんとしているかをつかむ練習は、今思えば一切やっていなかったですね。通訳者になるにはここはかなり重要なポイントだと思います。形だけ英語を追いかけて、やったことに満足していてはいけなかったんですよね。

 

でも内容は取れている、ということで本科Ⅱ判定が出たんでしょう。このときにタイミングよくプロ準備科に入れて頂くことができました。一生懸命やっていれば何でも良い方向に転がる、とは思いませんが、一生懸命やっているところは誰かに必ず見られています。講師とは限りません。今やって今すぐ見てもらえるわけではないかもしれませんが、月単位、年単位でちょっとしたことの積み重ねが形になって出てくることはあると思います。

プロ準備科

前回から英語歴のさかのぼりを始めました。

 

プロ準備科の1年ではまだ英語学習と通訳訓練どちらも並行してやっていた感覚でした。その1年で徐々に通訳訓練できる体制になっていったと思います。もちろんまだまだ英語力は伸ばしていかないといけませんし、プロ通訳者になって10年生き延びても英語力を伸ばさなくてもいい、日本在住通訳者がいるとは決して思いません。

 

前回書いた静的から動的な英語力にこの2015年1年間で移ったのは、リプロダクションをやってきたことが実を結んできたのだと思っています。リプロダクションは聞いたものを全く同じように繰り返すこと。一語一句合わせてやる方が、自分の使えなかった英語が使えるようになる為、スピーキング力向上につながると思っています。

 

記憶保持力に重きをおけば少し使う単語が違っていても良しとする、は別にいいんですが、自分の英語フィールドにおける守備範囲を広げたければ一語一句同じように繰り返す方がいいと実感しています。

 

このブログではリプロダクションについて取り上げて何回か書きました。

リプロダクションの意義は、やればわかるよ、ですが2つあります。

 

1ひとかたまりにつかめる世界が広がる(記憶保持力が高まるということ)

2理解した世界をネイティブらしい勢いのある、止まらない英語で自分の口から表現できるようになる(スピーキング力があがるということ)

 

 

「こういうことが言いたいんだ」よね、をつかんで、それをもう一度自分の口で表現すること、話すことが通訳だという考え方が染みついたのも、この1年でした。

 

 

 

 

何事もそうかと思いますが、「これをやったから伸びた」はないかもしれません。

リプロダクションやり、シャドーイングやり、逐次練習して、同時通訳練習して、The Economistを読み、日経を読み、関係する知識を増やす読書をしてきました。どこかでシナジーが起きて、ある時ひょこっと出来るようになっていて、ある時アレっと簡単に感じたり、と思ったら、難しくて打ちのめされたり、その連続です。

 

 

意外と、普通に聞こえると思います。なんだ、特別なことやってないんだ、と。その『「普通」を、どこに効いて練習しているか意識をしながらひたすら繰り返す、何も考えない』が、2015年私のmantraでしたね。だからよかったんだと思います。ここで重要なのは、どこに効いているかを意識することです。人それぞれ出来ないところは違います。巷で良いと言われている練習をしていて、自分のどこに効いているのか考えて、もし頭で考えてみて自分であまり意味ないかも、と思ったことは大体それは当たっています。

 

 

 

野球で言うとこれ全部ひっくるめて「素振り」ですね。本番近くなってから一生懸命バッティング練習しても遅いわけですよね。普段から当たり前の当たり前でやっていることは本番ではギリギリいつも通りできるか出来ないか、です。それも2015年学びました。授業前まで120%やっていって、授業中100%出来るか出来ないか、くらいでした。

 

 

とにかくこの1年はいろんなネイティブの言い回しやその速さ、話している内容につい ていけず、毎回目がくるくるしていました。正直、最初は復習しても誰か別の人の言葉をとりあえず話している感じ、理解している感じでした。自分の口から分かって日本語でも英語でも話している感覚というのはあまりなかったですね。でも器を作ればそこに必要なものは流れ込む、そういった感覚でしょうか。見せかけでもいいから、それらしく聞こえる訳を、英語を自分の口から出す、その繰り返しの1年でした。

 

静から動へ

自ら書いたブログを眺めていると

この人どうやって勉強したんだろう

通訳学校の入ったばかりの時は何考えてやってきたんだろう

出来ない時どうやって勉強してたんだろう

分かったようなこと書いてるけど出来ないで苦しんだ時期はないのか、と思いました。

(いや実際今も苦しんでますけど、自分に発破をかけたくて、デキる自分がデキない自分に書いてやっている、というのがこのブログの裏テーマです。 )

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いい棚おろしだろうと思いましたのでちょっと英語歴を最新状況から順にさかのぼって振り返ります。 

 

現在勤務している外資系コンサル企業へ2016年3月面接をし、インターグループから派遣社員として勤務開始しました。

この時インタースクールのプロ準備科生でした。(今はないが、現専属通訳者養成コースの一つ下のクラスに当たる)

 

プロ準備科、専属通訳者養成コースへは今月終了期合わせて、2年通いました。

この間に様々な業界の決算説明会、記者会見等に触れました。

業界は幅広く、政府関係、自動車、銀行、通信、航空、新聞、食品、シンクタンク、玩具、スポーツ、化粧品、証券等、あげたらキリがありません。

 

 

現場に出るのと、授業という守られた空間の中だけで訓練するのとは全く違いますが、それでもこれだけ幅広く訓練をして様々な世界に、様々な英語に触れてきたことは本当に恵まれていると感じています。

 

先生ありがとうございます。

 

よく英語学習と通訳訓練は分けてやらないと効率が悪い、という話があります。全くその通りで、初めの1年間は二つを同時にやっていた感覚です。すでに英検1級もっていましたが、なんというか資格試験で語れる英語力は静的staticなんですよね。通訳で必要とされる英語力、通訳者でなくとも仕事で本当に使える英語力は、もっとactiveで生きている英語を扱える力だと感じています。

 

 

最初の1年間で私の英語力はstatic からactiveに切り替わった感じが致します。

 

 

静的、動的、何を意味しているかというとリスニングに関して言えば

文法に注意が行き過ぎてしまうのが静的。

単語、構文一つ一つに気を取られすぎるのが静的。

 

まさにそこをつつかれるのが資格試験だったりします。

 

 

動的な英語力というのは、

完璧な英語が聞こえてこない、に前提をおく。(腹をくくる

動詞がなかったり、一つの文章の中に主語動詞、主語動詞が2回出てきたり、目的語がなかったり、主語がなかったりしても、「え、分からないんですけど。ちゃんと話してくれ」と思っても、その人が言いたいことが取れる英語力です。

 

 

人が話す言葉は生きています。私たち日本人も日本語を話すときに相当意識しないと、主語と述語が合っていません。話は脱線するし、やたらに一文が長くなったりするし、「えー、あのー、なんか」が出たりするのです。

 

 

ネイティブの英語を馬鹿にしたような言い方でしたが、そうした生きた(完璧ではないが、、ココ重要!勢いのある、止まらない)英語を常に様々な練習を通して聴いて、自分の口から出してきたことは非常に大きなメリットがありました。

When you know you know

毎日やると決めているルーティーンワークがあります。

Googleカレンダーでリマインダーを来るようにしてあって、私の携帯ロック画面には常に何かしらのリマインダーが出ています。

 

「わかってるし」

 

と思って、リマインダーかけるのをやめたこともありました。

 

そこで気づいたのは、目に見える形でやるべきことを出しておくと、そのぶん、頭で考えなくて済むんですよね。To do リストが常に見える形になっていた方が、ストレスが少ないことが分かりました。

 

日によっては全部をやるのは難しいであろうことも分かっています。

 

それでも翌日になってto doリストを眺め、やってない項目を見て、

「ああなんて自分はlazyなんだろーか」

 

と思うわけです。

 

 

その日やらなかった分を今日ダブルでやってもあまり意味はないと思っています。量をやればいいって問題じゃないんですよね、きっとね。

 

 

連続性というんでしょうか、継続して、というのでしょうか。

 

 

on and offじゃいけないだろうな、とからだは分かってるんです。

 

 

継続してやっていると気づかないくらいのレベルで、気づかないうちに身になっていることがある、という感覚です。

 

 

 

だからネガティブになっているわけではなく、

「ああなんて自分はlazyなんだろーか」

と思うのは、頭の声ではなく、からだの声でしょうね。

通訳している姿を

自分が通訳している時の姿を見ることはあまりないと思います。

 

通訳中はかなり自意識ない時ですので、自分がどのくらい必死感が出ているか、どのくらい頼れる通訳者っぽく写るか、気になるところです。

 

 

 

現在勤めているコンサル企業で先月クライアントを招いた大きなパーティーがありました。パーティー中はグローバルCEOのアテンドを行い、締めの社内打ち上げにてそのCEO, CFOがスピーチした際に通訳をしました。

 

先日、当日の写真データがたくさん出てきました。

撮られていても通訳に夢中で気づかないものですね。

 

 

 

結構楽しそうでした。

 

 

メモを取る時にも意外と冷めた顔して取っているので、必死感はバレていないかと思います。(かなり必死でした

 

 

結構いい写真が多く、楽しく通訳している姿はこれからの励みになると思うので目に見える形で、部屋に貼ろうと思います。

 

カメラマンさんたちありがとう。

 

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英日同時通訳 備忘録:文章を締めて、動詞に注目する

昨日書いた英日同時通訳をどうするかに引き続いて、どのようにしたら分かりやすく出来るか考えている流れで、思い出したことがあります。

 

通訳には豪華絢爛型、訥弁型があるといいますよね。

私が初めてそれを聞いたのは鶴田知佳子先生のセミナーでした。

 

豪華絢爛型は分かったそばから、分かったものは全部出していく、立て板に水のように言葉を出していくタイプ。

 

訥弁型はそれほど言葉数は多くないけれども、言葉を吟味して伝えていくタイプ。

 

 

そうそう、思い出してきましたが、私は豪華絢爛型なんですよね。分かったら言ってしまいたいタイプです。意味がしっかり伝わるように考えているうちに何か落としてしまう気がして、分かったら今自分が分かっている世界をそのままの形で伝えたい。

 

 

意識して練習していること

①立て板に水で出していくにしても、聴いている人がストレスなく聞ける為には、しっかり文章のおしりを閉じることですね。

「ーです」

「ーなんです」

「ーもあります」

 

次に何が出てくるか分からない為に、「ーけども」等でつなぎたくなるんですが、

「ーけども」の逆接にはまらない文章がきたらどうするんですか、ということです。

 

②文章の始めに出てきた動詞、構文を忘れないで、文章の終わりに反映させる。

特に修飾語の長い質問文をやる場合には、先出しで同時通訳するにしても聞いている人が「えっと何を聞きたいんでしたっけ」となっては本末転倒です。

 

動詞ってアクションですからね。

動詞はとても大事です。

動詞でネガか、ポジか、終わったのか、やろうとしているのか、わかります。