通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

官房長官の記者会見通訳は、理解しがたいコンディションがベスト

「同時通訳のやりかた」とか決まってたらいいのに、と思う時期はあったけど

そんなものがなくてよかったと思う

 

 

スポーツも同じように、通訳って、

ルールブックを読んだら出来るようになるわけでもないし

何回やれば上手くなれますよと約束してもらえるものでもないし

とにかく自分の身体をもってexperienceするしかない

 

自分の身体を通して覚えた『感覚』が、同時通訳をする際の1秒の闘いの武器になる

 

 

 

 

5年以内に運用の見直し指示の検討作業部会が、、

 

 

 

 

 

この日本語が1.5秒で流れてくる。

意味を考えてから通訳する時もあるけど、こんなに漢字が羅列してたら聞こえてきた通りにどんどん文章を作る。

 

でもね、

上記のように、文章を主語、動詞って作り始めたら、それ自体全部が形容詞だったらどう処理すべきか?そんな細かいルールも方程式もない。考えてる暇も、正直ない。どうしたらいいかは自分の細胞がその電気回路を一番よく知っていて、勝手に走らせる、そんな感覚

 

 

でもその『勝手に走らせる感覚』は、何も考えない、左脳は休止状態です、とは違う

 

左脳で意味は咀嚼する。

それでもスピードを落とさずに英語に変換していく作業は、左脳じゃ追いつかない、感覚。じゃあ右脳?いや、身体の感覚、としか言いようがない。

 

スポーツをやっている人はよくわかるはず。

目の前に来たサッカーボールをどう蹴るか、足の側面で~とか、考えないと思う。

目の前に来たゴロをどうさばくか、腰をこのくらい落としてグローブをたてて、正面に入って、とか、考えないと思う。

 

つまり

考えることが、身体の感覚になる。

ロゴスがパトスになる。

 

論理=感覚、という、ある意味、意味不明な状態

 

その意味不明な状態をきっとゾーンとか言ったり、

ボールが止まって見えたり、

記者の質問がいつもよりゆっくりに聞こえたりするのかもしれない

can i say something

通訳の世界にはふたつ。

 

 

 

ひとつ、

スピーカーの言っている形のない言葉を、聞いている人が同言語で聞いたらイメージ出来るだろう絵を作り出すこと。

そしてそこには、私たち通訳者が編集する権利はない。

 

 

ひとつ、

通訳者が身を置く世界はとても自己満足な世界でもあるということ。

 

つまり、編集権はなくとも、クリエイティブになるのは許されているから。乱暴に言ってしまえば、通じればいいわけで、隣に座っている通訳者と同じ言い方をしなくてもいいわけよね。どんな言い回しでも、中間の世界に生きてる通訳者にしか、その楽しさは正直分からない、すごくオタクっ気の入った楽しさ。

 

通訳者であれば、この2つを楽しんでるはず。

 

ただお客様にお支払い頂いてるのは1だけ。

 

1はボディで、2はエンジンだから。

 

でもエンジンないと車は走れないよ。

 

通訳者は1は当たり前で、2を追い求めるべきだと思う

 

お客様から頂いたお声は、2のエンジンが光ってるか、錆び付いているか、どちらかを1の業務を通して、バレただけなんだと思う

日英同時通訳 備忘録 2017.09.16

負荷がかかっても自分が話している英語を完結させる。

 

 

そのためには、分かっている情報をポンポン出していく。

文章のウエイトを軽くしておかないと、急な変更に対応できない。

急な変更というのは、自分の予測とは違った流れになったり、日本語での理解に時間がかかる時、です。

 

 

そして、負荷がかかっても、しっかり発音すること。

最近そういえば思い出したのだけれど、飛行機のアナウンスはアメリカ英語ではなく、イギリス英語調の発音で、しっかりtはtで発音している。

 

私はアメリカ英語を話す方なのだけれど、崩れた発音にならないように、美しい発音に切り替えようと思います。

let's talk

Coffee talks.

Coffee speaks では、色気がないのです


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coffee talks. 

コーヒーは語る、かなと思っていたけど、

talkには語るっていう一方向のテイストが少ない

 

coffee talks. 

コーヒーを堪能せよ、かな

talkが二方向ということは、コーヒーが話しかけてくる。

エスプレッソ効いてますか、苦みはこのくらいがちょうどいいでしょ、とかね。

それに対して飲む側が応える。

 

 

I talk so you respond.

Say let's see. 

 

つまり、これは堪能するということ

 

堪能するには、堪能する人だけでなくて、堪能させる側も必要ということ 

hello

本とカプチーノがあればとりあえず幸せな私は

当然、本屋にいるのも好きで

 

大抵はタイトルを見て手にとることが多く、

既に自分の好きな文筆家がいる場合は、著者に目を走らせます

 

ハッとする表紙写真や、デザイン、

手に取った時の気持ちよさで買ってしまう本もありました

 

 

旅先で出逢った本は、もう出逢ってしまったら買うのです

 

価格や重さでためらっても

もう出逢えないかもしれないと思うと、失うものの方が多い気がして、ね

 

 

数年前にパリで C'est la vie という、

表紙が布地の美しい写真集に出逢いました

 

C'est la vieは「まあそれが人生だよ」という意味

 

 

 

出逢ったら、出逢うことになっていたということ

失うものがあっても、まあそれも人生かもしれない

でもね、最初から何か失うかもしれないって思って生きるのとは、雲泥の差

 

 

だから今日もあなたとの出逢いに感謝している私です

 

不安なときは

生きていればどうなるか分からないことが、通常わたしたちの目の前に山積みになっています

でも一つ一つに対して憂慮していたら生きていられません

 

そして憂慮すればするほど、それが現実味を帯びてくるという面白い流れがあります

言霊もきっとそのうちの一つなんだろうな、と

 

言葉にすると、空気が震えて、それは歩き出す

 

 

だから、頑張って、プライベートも仕事も、

 

大変だ

出来ない

ムリかも

つらい

 

 

を、言わない

 

言いたくなったら一旦飲み込んで、からの、

 

ま、大丈夫

 

 

 

を、言っておく

 

 

 

『ま、大丈夫』を聴いた自分の耳が、

『大丈夫なんだ』と思ってくれるから

On your mark.

期限に間に合わせることができる、というのはcanの能力ではなくて、shouldの当然の話

 

学生でも、社会人でも、同じことで。

 

 

期日が決まったテストに受かるように自分の能力をあげる、期日までに間に合わせるというのは、どうか

 

 

間に合う人もいるし、間に合わない人もいる

 

間に合わせることが出来る、というのはここでもcanの能力の話ではなくて、間に合うことになってる、be bound toです

 

間に合わないようなことはそもそもやろうとは思わないからです

 

万が一間に合わないことがあれば、何年かかっても出来ないということです

 

 

すべては、未来完了形で準備しないと間に合わないようになっています 

 

間に合うかどうか、と言ってるようでは、いつまでも間に合いません

 

間に合うかどうか、というのは、本当に出来るのだろうか、くらいの気持ちしかないということです

 

間に合わせないと命がないと言われれば、死にもの狂いで間に合わせるはずです

 

 

頑張る、というのはそのくらいのことです

 

プロは誰もどれだけ、頑張る、の3文字が大変かを語らないだけです