通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

テクニックの前に本質

運転は、目の前の道路でなく進む先を見てハンドル操作する。

 

スピーカーの訴える風景を、違う言語で語る。

 

なにか伝えたい時は、相手の目を見て。

 

吸い込みたいなら、まずは吐ききること。

 

 

 

そうやって大局的な視点で教わったことは、精神状態ギリギリの時に一番効果を発揮する。ギリギリ状態の時にすがれるものは、テクニックではない。崖っぷちの時にすがれるものは、そういう本質をついた抽象的とも言える言葉たち。

 

その本質に付随してテクニックは初めて効果を発揮する。

 

今宵に華を。

マイクをつかんで少し下向きに

真っ白いノートを見下ろして、ペンが出番を待つ

スピーカーの横顔を見る。皆さんの方を見渡して微笑んで、口を開いた。

 

さあ始まる、の緊張の瞬間。

私の好きな瞬間。

 

スピーカーが話し終わって、マイクに近づく

ノートを見下ろして今聞いた風景が見えたら

会場を見渡す

皆の視線が集まる

風景を語る

手前にシャンパンを持つフランス人や奥で並んで立つ日本人ご夫婦が見える

会場のグレーの柱がそびえ立っている

声が天井に届いて、会場に散る

 

緊張と、華やかな幕開けの瞬間。

私のとても好きな瞬間。

 

目的を考えよう

通訳は誰のためのものか、ということ。

 

服はビジネスなら相手のため。

プレゼンはお客様のため。

手術は患者のため。

 

 

なんでも目的は存在している。

通訳は明らかに聞いている人のため。そして、話している人のためでもある。

二つのものの間に入るのが通訳だから、

スピーカーだけが、聴いている人だけが満足しているのではいけない。

そこをどう追究していくかが、通訳の深みだと思う。

 

スピーカーが言ったことは全部(の意味)を伝えなければいけないけれど、スピーカーが話した(言葉を)全部を言う必要があるかと聞かれたら、それは、ないと思う。

通訳の役割を考えれば分かる。

日本語しか分からないAさんが英語がわかったら、理解していたであろうレベルで話されている風景を伝える。

英語しか分からないYさんが日本語がわかったら、理解していたであろうクオリティで話されている風景を語る。

 

 

 

最近思うのは、通訳は自己満足に陥ってはいけないということ。

聞いている人が速すぎて聞き取れなかったり、声がもそもそしてなんだか意味がよく分からなかったり、緊張して滑舌が悪くて聞き取れなかったり。厳しいけれど、通訳の意味がない。聞き取れていないのだから。言っていたつもり、とか、スピーカーがそれを全部言ったから、とかは言い訳にはならないと思う。

 

どうやったら聞いている人に分かりやすく伝えられるか。

基本的には、自分が分からない言語を話している人の話を聴きたいから、通訳さんを使うわけだから。

 

声の大きさ、明瞭さ、スピード、ピッチ、間の取り方

 

要素は一つではないから、追求すると終わりない。

ご挨拶

スピーチやご挨拶等を逐次通訳ですることがあります。

国内外企業、国内外政府、と様々です。

通訳うんぬんよりも、もしかしたら好き、嫌いが分かれるところかもしれません。

ですが今日は大勢の前でのご挨拶通訳の話です。

 

原稿があろうとも、なくとも、私は最初からノートを取ってその時に出てきた日本語、英語で挨拶をします。原稿がない時は皆おなじ条件ですが、原稿が用意されていた時にどうするか。

原稿を英語に直したものをそのまま読み上げるのは間違いではありません。

ただ、一度やったことがある方は分かると思いますが、紙に書いたものを読みつつ、今話しているように話すのは、無理があります。日本語でムリがあるのだから、英語ではなおさらです。

 

以前『なぜ原稿があるのにノートを取ってたんですか、よかったあと思って普通原稿があったら読むのに』と聞かれたことがあります。

 

 

 

人によって考え方は違うと思いますのであしからず。

 

そもそも英語をつけた原稿を「読む」のは「通訳」ではないんじゃないの?というのが私の考えです。百歩譲って読み上げたとしても、明らかに読んでいる風に見えないように、適度に顔を上げて言えるようにするとか、紙を前方にもってこないでもいいように、記憶してしまうほど練習するとか、努力が必要だろうなと思います。

原稿を渡す側としては、通訳者さんに失敗してほしくないから見せるわけです。読み上げてください、とは言ってません。原稿を頂いたら、むしろハードルが上がったと思わないといけないと思います。渡しているんだから「出来るよね」と。正しい努力をすれば、「ラッキー」です。

 

そして、原稿にそって訳した英語を読み上げる場合、スピーカーがずっと原稿を読む保証はありません。「読めばいい」と思っているマインドに突然「通訳」はきついです。どこから原稿から外れて、どうつながっていたのか、2秒ほど慌てます。

 

それから何よりも読み上げている挨拶には、心に響くものがどうしても少なくなります。結婚式の新郎挨拶でスピーチに立った方が原稿を持ってたら興ざめです。おめでとう、という気持ちが、色々思い出しながら訥々と話しても、その場で出てきた言葉で伝わるから感動するのです。

ハートを通訳しよう。

通訳ばかりやっていたら真っ直ぐに成長出来るほど、簡単じゃない。

 

無駄かもしれないことを、楽しむ。

 

人の話を聞くことだって、そう。

読書もそう。

音楽を聴くことも、

新聞を読んだり、

たまには英文雑誌広げてみるし、

海外の友人にねえ最近どうしてる?って電話してもいい。

恋愛してもいい。人間の心の機微に敏感になる。

音楽の歌詞を聴きながら想像してもいい。

TEDで面白いと思ったら、その人の本を読んだっていい。

 

 

最近、人の感情に触れることが通訳に結構効くことがわかった。

 

 

恋愛小説だっていいし、

サスペンスだっていい。

人間の感情が動くとき、そこには必ず言葉が存在する。

 

I love youも戦争もすべて言葉から始まる。

 

 

 

まあこれをやれば上手くなる、がそんな簡単に分かったら、苦労しない。

 

感情が動かない日を何日も作らない。

ブースにこもって言葉の変換マシーンにならない。

 

通訳は人間相手の仕事だから、

why you say itを理想としてはdecodeしないといけない。

 

 

そして人間は誰もがハートを持っている。

内閣総理大臣も、守衛さんも、コンビニのレジ係も、そしてyouも、全員がハートを持っている。

 

それを忘れたらいい通訳なんて出来ない。

文字通りの、繰り返し、では足りない。

通訳学校へ通っていて、また、通訳者として稼働していて、その時その時で自分に必要なトレーニングメニューは異なります。

 

一度トレーニングメニューを決めたら、繰り返します。

何の疑問も持たずに繰り返すというよりかは、今自分が鍛えないといけないところのどの部分に効いているのか、考えながらやります。筋トレと一緒でしょうね。

 

行き詰ったと思っている時、まあ一般的にはスランプというと思うのですが、スランプというのは相当デキる人にしか使ってはいけない言葉だと思います。スランプというのは「出来るはずなのに、出来なくなる時期。どうしたらまた出来るようになるかもがく時期」。

 

それじゃあ凡人の自分にとって行き詰まった時はなにか。

自分のことを客観的に見られなくなったときが行き詰まった時と思っています。

何が出来て、何が出来ていない、それ故にこのトレーニングをやろう、の流れが自分で作れなくなる時。

 

客観視するということは成長する上で大事です。メタ認知というそうですが、(ビリギャルの)坪田先生の本にメタ認知が出来るということはどういうことか、どのように成長に役立つのか書かれています。

才能の正体 (NewsPicks Book)

客観視できなくなったときには焦らずに、超基礎練習をすることかもしれません。

超基礎練習を集中して行うことで、出来ない部分が、ほころびが必ず出てきます。

超基礎練習をやっている最中、自分が出来ないと思ったところがなぜ出来ないのか、気づかされることも多いです。

 

 

フワフワしてしまって、これもやりたい、あれもやらなくては、何からやれば一番効くんだろうか、となったら、まず一つ超基礎練習を集中してやること。

 

人によって基礎練習は異なりますよね。

リプロダクションか、英文法問題集か、遅らせるシャドーイングか、サイトトランスレーションなのか、分かりやすい音声を使った通訳練習を録音するか。

 

そんなにすぐに解は見つからないと思います。どうしたら今よりも上手くなるか。

でも、正しい(効く)トレーニングを、正しいマインド(意識して)で、繰り返すことが効くんだろうと、今までを振り返って思います。

いつも行き詰ったらそこに戻ります。