通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

高い質を目指す

同時通訳において話された言葉から話す言葉にどう転換させるか、一種のアート、芸術です。その人のクリエイティビティが出るからです。全員が同じ訳し方をするわけではないし、しなくて良い。クリエイティビティと言っても話された言葉に対する理解度、これから話そうとする言語をどの程度自在に動かせるかで変わる、知的な要素が絡み合っている。だから通訳をやっている側は面白いのです。

 

同時通訳においては、話す側の言葉が一方向に流れるところに、少し遅れて話すようになっています。ここをどの程度の距離を引き離すか、そして、いかにも前から訳していますというのを感じさせない美しいアウトプットがどのくらい出来るか、ここもアートです。

 

芸術 げい-じゅつ

一定の材料・技術・身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産広辞苑

 

だから通訳が上手いかどうかというのは使っている単語の難易度、文法、発音などどれか一つを取って評価出来ません。

フィギュアスケートの採点項目にある技術点は基礎点と出来栄え点があります。基礎点は技の評価。出来栄え点GOE(Grade Of Excution)は質の評価です。同じジャンプを飛んでも質の高い演技が評価される。質が高い低いはジャッジの主観が入ることは否めません。センター試験のようにマルかバツかという話ではないのです。

 

通訳も同じで、聴いている人の主観によります。質が高いか低いか。

 

どの質を目指したらいいんだという話ではなく自分が思う高い質を目指すことが大事です。ジャンプを4回飛べば見栄えはどうでもいい、言葉が変換されていれば聞こえ方はどうでもいい、美しく通訳出来れば内容は落としてもいい、そういう考えだと高い質を出せる可能性は下がると思います。

 

常にベストを尽くすというのは集中力と体力が必要で簡単には行きませんが、今日も高いGrade Of EXCELLENCEを取る勢いで行きましょーう

足元を見て歩かない

天下統一に手が届きそうだった織田信長の頭にあって、戦国時代最強の軍神上杉謙信になかったものは目標(一般方向)であり、そのための戦略だそうです。

最強の成功哲学書 世界史

 

 

勝率はとにかく高かった上杉謙信も、一般方向、目標については関心なし。

ビスマルクもこの一般方向については常に意識していたようです。ドイツ帝国をどんな形の国にしたいのか、どんな地位をヨーロッパ大陸で占めたいのか、目の前の家臣の細々した緊急相談も処理しながら、遠くを見て考えたんでしょうね。

 

 

遠くに見えた目標から足元におとしこむ。

今必要だから実行する、ではないのです。今必要だから実行しているレベルのものでは遠くに行けません。今のちょっと先です。

 

遠くに見えたから、今この時に何が必要なのか初めて見えます。

 

 

 

通訳でも同じです。

明日、明後日の、毎日の仕事で上手く行く、つまり勝率を上げることも大事です。でもその連続だけでは全体として自分が進みたい方向にはなかなか進まない。

 

自分はどんな通訳者に最終的になりたいのか、どんな通訳を出来るようになっていたいのか、そうした遠い目標を確認するから、足元で何をしないといけないか分かる。今日明日のトレーニングで何が必要か分かる。

 

 

遠い先に気づいて足元を振り返ったら、意外とここまで来たんだ、といつか思うんだと思います。

スムーズな通訳のために

通訳はスピーカーがいなければ機能しません。スピーカーに依存していると同時に、時にはスピーカーに苦しめられます。依存しているのに、制約も同時にかけられるからです。勝手なことは言えないから待たなければいけないのに、決められた時間内に話さなければ置いていかれるし何しろ本人ではないので不明な部分があったりして毎度分かり切ったようには訳せないからです。

 

でも最近感じるのは、スピーカーが話し始めてからピリオドが打たれるまで、比較的通訳者は自由を頂いているということなんです。内容が同じであればどのように訳さなければいけないかという決まりはありません。スピーカーが出した単語の順番に日本語を話さなければいけない規則はないし、直訳しなければいけない理由もない。

 

英語を聞いて日本語に(日本語から英語の逆方向も)通訳にするときに直訳風になってしまったり、元の発言に遅れがちでギリギリのところで通訳している状態というのは、自由が利く部分がかなり狭いことを意味しています。ここでいう自由、というのは時間の空間のようなものです。

当然元の文章が理解出来なければ苦しいです。自由などありません。嫌だなと思っても直訳風にせざるを得ない時もあります。

遅れていれば自由も何もありません。聞こえてきたものをその場で「片づけて」いくしかない。

 

英語を聞いて同じ内容を日本語で話すという、または日本語を聴いて英語で同じ内容を語るという、すでに忙しい中でも自由が感じられて通訳出来るときというのは、理解が早く、その結果常に予測する余裕がある時です。

 

だから私は速い理解が出来るか否かが勝負の分かれ目だと常に思っています。

 

速い理解が出来れば「この話し方は次こう来るか」と考えながら&聞きながら、何度も言い換えることをせずに綺麗に出していくように、調節をする余裕が生まれるのです。

 

速い理解と同じくらい大事なのが、脳と口の連携です。

脳が理解してもその速さに口がついてこなければ意味がありません。速く理解したいのは、それだけ余裕があればアウトプットを考えながら美しく出せるからです。口、と言っていますが、頭です。頭が明瞭清涼であれば、口も同様に動きます。

口がついてこない時は経験上、冷静でない証拠です。120%の準備と深呼吸で対処可能です。(今のところ)

舌がまわらない時は経験上、冷静でない証拠です。「訳さなくちゃ」に神経が行き過ぎなので、聴いている人にはどう聴こえるか、伝えようという意識でだいぶ改善出来ます。録音してみて練習するのがおすすめです。

 

マイクの向こうに存在するオーディエンスを意識しよう

It Worked for Me: In Life and Leadership

 

昨年は安倍首相が年末年始に読む書籍が複数明らかになっていました。私も、と信長の原理を2019年頭に読みました。中国メディアがそれら書籍の著者が左派とか右派だとか騒いだ為か今年は発表されなかったように思います。

 

ということで今年は官房長官が読んで参考にしているというコリンパウエル元国務長官の 書籍に手を伸ばしました。

 

日本国に住む一般国民には絶対に見えない米国政府内の機微について良く分かります。もちろん記者会見についてのストーリー展開もありました。

 

特に考えさせられたのは記者会見において誰が向こう側で聞いているか、という彼の見解です。物理的に座っているのは記者ですが、その向こう側には様々な利害関係者、国民、ひいては諸外国政府、その国民が聞いているというもの。

 

 

私たち通訳者は官房長官の大変な仕事とは比べられない程度の仕事しかしていません。しかし、会議において通訳を非常に多くの人たちが聞いている場合も、そうでない場合も、自分の目の前のマイク一本の向こう側ではその情報を頼りに必死に聞いている人がいる。その真剣度は記者会見のマイクにたつ閣僚に負けず劣らずであるべきで、とりあえず言語を変換するのでは足りない。聞いている人が理解できて初めて、通訳したと言えます。

 

今日もその想いを胸に、頑張りましょーう

英語は空気の言語

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深呼吸が大事だという記事を書きましたら、その週末に深呼吸特集がFT編集の雑誌How To Spend Itに載っていました。80%程度の人は深呼吸を行えていないそうです。深呼吸が出来ると、声に膨らみが出ますし、落ち着くので自分の世界にのめりこまずに客観的に自分の声を聴く余裕が出ます。

 

 

 

 

 

最近思うのは英語は空気の言語で、日本語は音の言語だということです。

 

日本語は必ず母音がつきます。

犬は、i-nu だし

努力は、do-ryo-ku

その音を聞いて日本語だと認識する。

 

英語は違います。

 

犬は、dogであり、do-gguとは言いませんよね。母音は要りません。

努力は、effortであり、effo-otoではありません。

 

英語は唇、歯、舌のコンビネーションによって生み出される空気だけで伝わる。

日本語は、声を前に出していかないと届かない言語です。

英語は、口元で必要な口の形を作って正しい空気を出す(=正しい発音が出来る)ことによって届く言語です。

だから英語は大声張り上げなくても美しく伝わる。

逆に日本語と同じ音を、声を前に出すような話し方をしているとフラットに聞こえます。均一、というのでしょうか。凸凹、濃淡のない英語に聞こえてしまうのです。

 

 

まだまだ研究実践道半ばですが

どうせ通訳するなら形もカッコよく、美しくいきたいです。

深呼吸の2020

発言が頻繁に飛び出す会議や質問が飛び交う記者会見、パネルディスカッション等々、人と人のコミュニケーションが頻繁に行き交う場における同時通訳は簡単とは言いませんが、スピードに遅れなければ通訳を職業にしている人なら誰でも慣れていきます。(もちろん慣れるのと上手いのとは悲しいかな、意味が違いますが)

 

多少分かりにくい、意味が分からない通訳になっても次から次へと通訳せねばならず、聞いている方も同じく次から次へと耳に入ってきますから、結果的にごまかしが利く。それとて通訳する方は一発勝負で、かつあくまでも他人の発言なので「これで伝わるか、伝われ」という真摯な祈るような気持ちで1, 2秒の世界で訳しています。

 

翻って簡単なようで難しいのが、練られた速くもないスピーチで、声量や速さを駆使してニュアンスが伝わってくる発言です。つまり一方向でオーディエンスに語りかけるタイプの発言を通訳する場合です。

 

速度が速くないために、アウトプットを考える時間があると思いきや内容が濃いので耳のアテンションが想像以上に取られます。速度が速くないために、自分のアウトプットもパパっとしゃべって次を待つという、オリジナルから逸脱しすぎた通訳もまた出来ません。元の空気感が伝わらないからです。その空気感を、情報をおとさず確実に出す。

 

こうした通訳を上手くなりたいです。

目指すのは少し崩れても分からないアクアパッツァではなく、美しい鯛の姿焼きです。

 

 

 

 

緊張していて頭が回転していないと気づいたら恐れずに深呼吸をすること。頭が働いていない時は呼吸が出来ていません。息を吐ききれずに、吸うのみだからです。息の底が浅いのです。底が浅いと声が高くなります。高くなってオリジナルが聞こえなくなって音量を上げます。上げるとそれに伴って自分の声のボリュームも増す。悪循環です。

 

 

焦って負のスパイラル入ったな、と思ったら、耳は集中しながら深呼吸をして通訳再開です。

 


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普段出来ない深呼吸をたくさんして過ごす年始でございます

does it make sense?

通訳とは元の発言と同じ内容のことを違う言語で話すことですよね。

 

だから日本語から英語に、

英語から日本語に、

文字の通りに訳して安心して、何も考えなくなってはいけないと思います。

 

文法的に間違った文章でなくても、そんな言い方は英語でしないだろう、そんな言い回しは日本語でしないだろう、というのを、通訳していると分からなくなるのかもしれません。でもその部分の単語を、その文章をそのまま漏れずに変換したから通訳したと満足してしまうとその先に成長する伸びしろ、可能性を勝手に狭めることになってしまいます。

 

いつになっても自分に対して冷静に客観的であることに尽きると思います。通訳が上手くいったと思うことがあっても、よくもまあ上手くいったなと思うのは直後だけで十分です。それよりもうまくいったときはなぜそうであったかの分析をしないと、まぐれ当たりで終わりになってしまってもったいない。

 

成長は新しいことを出来るようにするだけでなく、今までやっていたことを確実に出来るように、そしてそこから更に進化させることだと思っています。

 

今まで当たり前と思っていたやり方、疑いもしなかった自分の英語、日本語、話し方など、客観的に聞いてみてどう思うか、成長の種はたくさん見つかります。