通訳者Mのブログ

通訳と、人生と。

話しながら英語へのアテンションを100にする基礎練習

英日同時通訳です。

 

自分が話しているときに聞こえてくる英語を欠けることなくキャッチし続けながら話す。

つまり日本語を話している時に英語へのアテンションを100%にする練習。

なんとなく聞くのではなくて欠けることない英語を話しながら聞く、基礎練習。

 

多少ぽろぽろ落としてもいいなら出来ている(であろう)英日同時通訳を、耳に全部英語を聞かせる練習。私にはこの基礎練習とてもとても難しい。8語シャドーイングと同じくらい難しいです。

 

本番でそこそこ出来ることを、練習でそこそこのレベルをやっても意味ないので、今日もゼーゼー言っている私です。 

 

 

この記事から1年以上経っていますので、少しくらいは良くなっていてほしいなと祈りつつ、振り返って気づいた点がいくつか。

 

この記事を読むと

 

遅れたら終了。

 

と書いてありますが、必ずしもそうとは言い切れないなと最近思ってます。遅れたから日本語で出しやすくなる文構造もあります。なんでもかんでも「遅れたら終了」でやっていると、聴いている人へ負荷がかかりますよね。遅れても、耳がキャッチしていれば、巻き返せます。

 

 

こと英日同時通訳に関しては、英語日本語のサイトトランスレーションが効いてるなーという感じがします。品詞を変えても意味を同じに伝える練習、というのでしょうか。

 

綺麗に和訳するのとは違うアプローチをとりつつも同じ意味を出し、そしてスピードを落とさないためにはどうしたらいいか、その頭の回転の仕方をサイトトランスレーションは教えてくれます。

電話会議対策

最近、電話会議(以後テレカン)の仕事が立て続けに入っています。

パナガイドが手放せなくなっています。

 

 

以前社内通訳者をしている時*に、グローバルオフィスとの会計、業績報告のテレカンがありました。当時はパナガイドなるものがオフィスになく、私が入社して半年ほど過ぎたところでCEOに要請し、購入しました。テレカンで聞き取れないのはリスニング力が多少は関係あるかもしれませんが、リスニング力だけでは解決しません。

 

通訳者をしていて何がストレスか?

人によって違うかもしれませんが、耳に音声として入ってこず、『なにか言っている』程度しか聞こえない時です。こういう時は通訳出来ません。しかし周りは『なんか言っているよね』となります。

 

 

通訳をやったことがある方はご存知のように、ざっくり聞くのと、通訳するのとは全く違う次元です。

 

モソモソと日本語プレゼンをする人がいます。パワーポイントが映し出されています。内容を日本語で理解すればいい程度なら、なんとなくその方が話していることは分かるような気がします。聞こえない部分もあります。聞こえる部分もあります。なんとなく自分で文章をつなげて分からない所は適当にスキップして聞きます。

通常はこの程度のアテンションで聴いていても話は分かります。

 

しかしこれを通訳するのは無理です。おそらく2つ同時作業ではなく、3つになるからだと思います。違う言語になれば、なおさらです。

 

通常は同時通訳では聞く、話すだけをやればよいのですが、

音が音声としてきちんと入ってこないと、①何を言っているのか音を拾おうとする②聞こえてきたパーツで意味を理解しようとする③違う言語で話す、をする必要があるからです。

 

どんなテレカンでも向こう側の相手の声が出てくるスピーカーが大小あれど、あります。そこにパナガイドのマイクを近づけて自分がイヤホンをすることで、音声がよりハッキリ聞こえるようになります。

 

 

以前はテレカン、と聞くとイヤだなぁと思ったものでした。耳に音声が入ってくるようになったことでその恐怖感はなくなってきています。単純にテレカンを何本もやっていれば、特別なことに感じなくなるのかもしれませんが。

 

もうひとつ大事なのは、電話の向こうにいる日本人なり外国人に、通訳者が間に入っていることを認識してもらうことなのかな、と。そうすることでスピードコントロールがある程度は効きますし、逐次通訳であれば参加者の誰かがlet her translateとバトンを渡してくれて、仕事がしやすくなります。

 

 

*

leogirl.hatenablog.com

逐次通訳と同時通訳の違いがあるとしたら

逐次通訳は同時通訳だ、とは言わないけれど、同じような思考プロセスを辿る。

つまり、ノートを取る時点でもうどのように訳すかを分かって取らないといけないということ。

 

そして話を聞いて、ノートを取りながらも、前の主張とのつながりは別に、意識する。

 

 

人が話しているわけだから、流れがある。流れを忘れてノートに書いてあることと、記憶だけを頼りにAデス。Bデス。と訳しても、スピーカーのスピリットはつたわらない。英語や日本語が多少分かって聞いている人と同じくらいしかアウトプット出来ない。

 

その瞬間瞬間、一文一文、スピーカーの言っていることが分かっても、ひとかたまりを伝えないといけないことは忘れてはいけない。

 

ここが形式以外で違いがあるとすれば、逐次通訳と同時通訳の違い、だとおもう

The one who seeks finds 

ブログは日記の公開

 

公開というのはprivateなthoughtsを、アイデアを、備忘録として残したいことを、available to publicにするということ

 

 

そのthoughtsがどう広まろうが、どう活用されようが、なにかのヒントになろうが、ブログ発信者のコントロールを超えたところにある

 

だからおもしろい

 

ブログを書く意味は、人によって違う

 

 

 

以前は、これはどんな意味があるんだろうか、この出会いはなにを意味するのか、このイベントは、と、理由を、意味を求めた

 

 

でもいま思うのは、一つ一つに意味はないということ

 

 

意味は、意味を見いだした人にしか意味を持たない

 

 

ブログは発信者が発信したいときに発信して、読みたい人が読む

 

 

そのくらいシンプルな話だ

 

同時通訳備忘録 2018.1.18

言葉対言葉で訳すんじゃない

 

話しているのを聞いて、意味が浮かぶ

 

その意味を自分の言葉で話す

 

聞く自分、

話す自分と、

自分が話している英語、日本語がどうなっているかを聞いている自分

 

三人でひとつ

 

話すことを忘れない

違う言語に置き換えるんじゃない

 

その人が言いたいこと、を出す

『分かった気がしているだけ』のその直感はたぶん正しい

Citiを始め米国企業が今期損失計上している理由の一つとして挙げられているのが、先日米国議会で成立した税制法案。法人税率が引き下がるというメリットが長期的にはあるものの、直近では引き当てていた繰延税金資産を取り崩さなければいけなくなったことが業績に響いているケースが多いようです。

 

The main reason for the tax charge is that the new tax law forced the bank to write down the value of its huge pile of deferred-tax assets.

  ーWall Street Journal 'Citigroup Earnings Wiped Out By Tax Charge' 2018.1.16

 

 

別にニュースの内容について書きたかったわけではありません。

今理解出来ないものもしつこくいろんな角度から読んだり聞いたりしているうちに、少しずつ分かるようになる。多角度的なアプローチがイイかも、という話です。

 

 

 

2016年5月に繰延税金資産を初めてコーチに教わって、分かった気がしているが、おそらく本当の意味では分かっていない、という記事を書いています*

 

同じ内容のものを違う角度から何度も読んだり聞いたりしているうちに「繰延税金資産」というものが、頭ではなくて肌感覚で、少しですが、分かるようになってきたと思います。最初はコーチに紹介されたwebサイト。会計関連の書籍。自分の手でまとめたノート。日本経済新聞Wall Street Journal

 

あ、なんか説明をされなくてもスッと分かる、という感覚になるまで、いろんなものに触れ続けて勉強し続けるのが大事なんだなと改めて思います。

 

 

と同時に新聞やテレビを見ていて「ん?」と引っかかるところがあったらメモするなり、すぐに調べるなりしないと、次にその単語、概念に出逢った時に同じところでまた分からない、となりかねません。

 

そう思っていてもメモするのを忘れることがあります。

この間「住宅着工件数」を英単語2つで表現してあるのを見て、「ほおーなるほど」と思ったきりどこのソースで見たかを思い出せないでいます。

どこで見たんだろうか..苦笑

 

 

*

leogirl.hatenablog.com

 

回復機能

死ぬギリギリで打ちのめされると、そこから回復した後は以前より若干強くなります。

筋肉にも言えることだし、通訳でも言えることだと思います。

 

ギリギリで闘わせてもらうと学びます。

学んだからといって、次の仕事で完璧に出来るわけではありません。

人が話す言葉を生の耳で聴いて、違う言語で語りなおすこの仕事においては、正解は一つではないし、完璧というのもあり得ません。

 

それでも自分の処理容量ギリギリの仕事をさせてもらうと、ギリギリで闘った感覚を身体が覚えています。

 

そのギリギリをギリギリでなくすにはどうしたらいいか、

ギリギリの中でもより良いものにするにはどうしたらいいか、

ギリギリの状況であいまいだった自分の知識は本当に正しかったか、

 

自分にあったしかるべきステップを踏んで回復していく中で、

以前になかった視点を持つことが出来る気が、します。

 

 

自分の気持ちと、身体は、同じではありません。

気持ちが焦っても身体が、実力がついてこないこともあります。

気持ちは10キロ進みたくても、実際には50メートルしか進まないものです。

 

後退しない限り、1ミリずつでも前進している限り..

 

というかどのくらい前進しているかなんて考えなくてよくて、

とにかくやることをやればどうにかこうにか前進しているのです。